柿内 三郎 | かきうち さむろう | 1882,8,14 東京 生 | 1967,12,24 東京 没 |
生科学者・医博 一高を経て1906年東大医学部卒。1910年理科大学化学科主席卒。医科学の隈川宗雄の教室に入り、1912年助教授。1915年渡米。エール・シカゴ・コロンビア大学に学び、1918年東大医学部教授。1943年退官まで24年間医化学講座担当。1919年から理学部の生化学を兼担。1922年 ”Journal of Biochemistry ”を私費刊行。医化学に対して生化学の名を提唱。1925年理・農など他額部関係者に呼びかけ、日本生化学会の創立を促した。生体構成物質の物理化学、細胞内物質代謝、生体酸化と資質との関係、栄養学等の分野に研究業績がある。退官後は幼稚園教育の振興に尽力した。趣味は能楽演能。墓は文京区護国寺にある。 |